末盧國(まつろ/まつら)とは、弥生時代、九州佐賀県の唐津市に栄えた国です。
当時の中国に栄えた「魏(ぎ)」の歴史書である「魏志倭人伝」にその記述が見られる倭国の国のひとつでした。
帯方郡より倭国に渡る上で、魏の使者が対馬国、一支国(壱岐)を経由して、日本列島本土に最初に上陸する地であり、古来は「まつうら」ではなく「まつら」、もしくは「まつろ」と発音されたと云われます。
末ら国に関する記述がある書物は魏志倭人伝のみで、日本国内で書かれた書物には記述が一切ないため、多くの謎が残されています。
しかし、松浦川、半田川、宇木川の流域に鏡、銅釧・勾・ガラス管玉・ガラス小玉などの遺跡が発掘されており、この地域に末ら国が存在した事は間違いありません。
魏志倭人伝には「4000余戸が有り、山海に沿って人が住んでいる。前を歩く人が見えないほど「ヨシ(葦)」が生い茂っており、人々はアマ(※)として魚や鰒(あわび)を捕って生活していた。」と記述されます。
※海人(あま)の意味で海に潜って貝類や海藻を採集する漁を職業とする人の事。