末ら国 - 邪馬台国


末盧國(まつらこく-Matsurakoku)

末ら国

末盧國(まつろ/まつら)とは、弥生時代、九州佐賀県の唐津市に栄えた国です。
当時の中国に栄えた「魏(ぎ)」の歴史書である「魏志倭人伝」にその記述が見られる倭国の国のひとつでした。

帯方郡より倭国に渡る上で、魏の使者が対馬国、一支国(壱岐)を経由して、日本列島本土に最初に上陸する地であり、古来は「まつうら」ではなく「まつら」、もしくは「まつろ」と発音されたと云われます。

末ら国に関する記述がある書物は魏志倭人伝のみで、日本国内で書かれた書物には記述が一切ないため、多くの謎が残されています。
しかし、松浦川、半田川、宇木川の流域に鏡、銅釧・勾・ガラス管玉・ガラス小玉などの遺跡が発掘されており、この地域に末ら国が存在した事は間違いありません。
魏志倭人伝には「4000余戸が有り、山海に沿って人が住んでいる。前を歩く人が見えないほど「ヨシ(葦)」が生い茂っており、人々はアマ()として魚や鰒(あわび)を捕って生活していた。」と記述されます。
※海人(あま)の意味で海に潜って貝類や海藻を採集する漁を職業とする人の事。

主な遺跡

  • 菜畑遺跡
  • 桜馬場遺跡
    この遺跡は弥生時代の遺跡で石蓋の甕棺、方格規矩四神鏡2面、有鉤銅釧・鉄刀・ガラス小玉、銅矛、土器、人骨などが発見されました。
  • 宇木汲田(うきくんでん)遺跡<
    縄文晩期、弥生時代中期にかけての集落で貝塚が発見された遺跡です。発掘された甕棺墓から多鈕細文鏡1、細形銅剣9、細形銅矛5、細形銅戈2、銅釧・勾・ガラス管玉・ガラス小玉などが見つかりました。

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