奴国 - 邪馬台国


奴国(なこく-nakoku)

奴国

奴国は弥生時代に現在の福岡県春日市付近に存在した国です。2万世帯以上の人々が暮らすとても大きな国で、大陸からの先進文化を多く取り入れていたと伝えられます。
古代中国の歴史書に「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と云われる金印を与えられたと記されており、またその金印が江戸時代に志賀島から発掘されています。
日本の歴史書「日本書記」によると、現在の福岡市博多区付近に、朝廷直轄地である「儺県(なのあがた)」が置かれていたと記されています。
儺県(なノあがた)と奴国(なノくに)でとても名前が似ているので、この地域付近に奴国が存在した事は間違いないはずです。

『三国志』魏志倭人伝の奴国

東南の奴国まで百里ある。そこの長官を?馬觚(じまこ、じばこ)といい、副官は卑奴母離(ひなもり)という。二万余戸がある。

魏志倭人伝原文

東南至奴國百里 官曰兜馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸

主な遺跡

  • 福岡市博多区の那珂遺跡群では3世紀頃の遺跡で、国内最古の道路跡(幅7メートル・南北へ1.5キロ以上の直線)が発掘されました。

備考

福岡県の那珂川町を源流とし博多湾に注ぐ二級河川の名称が那珂川(なかがわ)であり、博多湾はかつて那津(なのつ)と呼ばれていた。

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