日本から見た第二次世界大戦


日本から見た第二次世界大戦

満州事変
1931年9月
日本軍、満州(現在の中国東北部)で起こった鉄道爆破事件を口実に、軍事行動を開始する。

1932年3月
日本軍、満州全域を制圧する。
清朝最後の皇帝フギに満州国建国を宣言させ、満州国が出来る。

その後、100万人を超える人々が日本から満州へ移民され開拓にあたる。
※満州に駐屯した日本軍は「関東軍」と呼ばれるようになる。

中華民国政府の提訴により、国際連盟よりリットン調査団が派遣される。
半年にわたる満州の調査により、同年9月、日本の自衛とは判断される。

1933年3月
日本、国際連盟を脱退。

 

 

1936年11月25日
日本とドイツの間で「日独防共協定締結」が締結される。
これにより、日本軍はソ連を仮想敵国と設定する。

1938年
大島浩、駐ドイツ大使に任命される。
※大島浩(1886-1975)は第二次大戦中に駐ドイツ特命全権大使を務めた日独伊三国同盟締結の立役者。大島はヒトラーと話す際、通訳を解せず自身がドイツ語で話していた。

1939年

1939年5月
ノモンハン事件
満州国とソ連の国境で起こった武力衝突。
ソ連軍
戦車や航空部隊
日本軍18000人死亡

8月
独ソ不可侵条約 締結
ソ連は日本の仮想敵国であり、防共協定に違反している。
判断が付かなくなった内閣は総辞職、駐ドイツ大使の大島もベルリンを去る。

1939年9月1日
ドイツ軍、ポーランド侵攻

9月3日
イギリス・フランス、ドイツへ宣戦布告

17日
ソ連軍、ドイツとの密約通りにポーランド侵攻

ドイツとソ連によるポーランド東西分割

1940年
日本、南方進出(東南アジアへ進出)
これによりアメリカとの関係悪化

ドイツ軍の西ヨーロッパ全土に侵攻
4月
デンマーク、ノルウェー侵攻
5月
オランダ、ベルギー侵攻
6月
フランス、パリ侵攻
フランス降伏

これによりドイツは西ヨーロッパの大半を制圧
日本では日独同盟の強化すべきという声が高まる
※イギリスやフランスを降伏させれば、東南アジアの植民地を容易に取れるとの狙い

9月27日
日独伊三国同盟 締結

1941/2/28
大島、ヒトラーに山荘に呼ばれる
大島、再び駐ドイツ大使に任命される。

1941年4月13日
松岡外相とスターリンによる「日ソ中立条約」が締結される。
※両者の狙いは、東南アジアへ進出するための日本と、ドイツとの戦争に備えるソ連
有効期間5年

6月22日
ドイツ軍、ソ連領内へ侵攻。
※この月の3日、駐ドイツ大使の大島は密かにヒトラーの山荘に呼ばれ、ソ連と戦争を始める旨を伝えられる。
大島はこの情報を暗号で日本本土へ伝えるが、この暗号が既にアメリカによって傍受・解読されていた。

7月28日
日本軍 南部フランス領インドに進駐を開始。
日本はこの時、ドイツがソ連に勝つ前提で行動していた。
この日本の行動により、
8月1日、アメリカは日本に対して、石油の全面輸出禁止の措置をとる。

これにより、日本ではアメリカと戦ってでも東南アジアの油田地帯を狙うという声が出始める

10月7日
ドイツ軍はモスクワまで200kmの地点に迫る。
11日
大島は本土へ、大島はドイツの勝利を確信した内容の報告。
18日
東條内閣

11月5日
御前会議開催。11月中にアメリカとの交渉がまとまらなければ、戦争に踏み切ることが決定される。
このころ日本は、ドイツがソ連との戦争に勝利した後、イギリスにも勝てば、アメリカは単独での戦争は避けるであろうと考えていた。
しかし、この頃からドイツ軍は雪の為、軍が進まなくなっていた。
26日
アメリカは日本へ、三国同盟の破棄と東南アジアの植民地を手放す事を要求。
これにより、日米の交渉は失敗に終わる。
同日、ドイツ軍はモスクワまで40kmの地点。
しかし、ソ連はシベリアの極東軍をモスクワへ移動させていた。
30日
日本、駐ドイツ大使の大島へ、日本がアメリカと戦争になった場合、ドイツも日本と共にアメリカと戦ってくれるよう指示。しかしこれは失敗する。

1941年
12月8日
ドイツ、モスクワ攻略戦中止
同日、日本海軍はハワイ真珠湾を攻撃
日本はアメリカ、イギリス、フランスへ宣戦布告
日本は最悪の展開でアメリカに戦争をしかけてしまう。

1942年
4月
アメリカ軍による東京初空襲
日本近海のアメリカ空母より、爆撃機ににて空襲される。
※これにより、アメリカ海軍に対して戦力を奪うため、ミッドウェー作戦が考案される。
このころ既に日本軍の暗号はアメリカ軍に解読されていた為、作戦がばれてしまう。

6月5日
ミッドウェー作戦
日本海軍は敗北し、空母4隻沈没

昭和19年(1944)にはソ連勝利確実

1944年11月 ソ連革命記念魏
首相 スターリン、日本を敵とみなす発言
この先、我がソ連が日本から攻撃を受ける可能性は否定できない

1945年2月
ヤルタ会談(クリミア半島)
アメリカ、イギリス、ソ連首脳会談
ルーズベルトとスターリンの秘密協定
ドイツの降伏後2、3か月を経て、ソ連参戦
極東での領土拡大
南樺太、対馬列島

昭和16〜19年
関東軍は兵士や戦車、武器などは太平洋戦地へ派遣されしまい、満州国には戦力が殆ど残らなかった。
開拓民、居留民が徴兵される。

1945年4月5日
駐ソ連大使 佐藤尚武
ソ連外相 モロトフ
中立条約破棄を通告

大本営は、ソ連軍が東アジアを攻撃するとは考えない。

5月7日
ドイツ無条件降伏
アメリカ、イギリス、ソ連による連合国の攻撃に屈する。

6月
沖縄戦

6月22日
天皇出席の元、国家の重大事項を話し合う御前会議が開かれた。
ソ連に向けて日ソ中立条約の延長を求める。
ソ連に連合国との和平の仲介を依頼する。

7月12日
駐ソ連大使 佐藤尚武のもとに東京の外務省から電報が届く
内容は、連合国との和平仲介を依頼するため外交使節を送る、大至急ソ連側の了解をとってもらいたい。
しかし、佐藤はモロトフと連絡取れず。

7月16日
アメリカ、原爆実験に成功

7月17日
ポツダム会談
トルーマンは、ソ連の対日参戦は不必要と考える。
原爆完成を知ったスターリン、対日参戦急ぐ

7月18日
佐藤大使のもとに、ソ連からの回答が届く
日本からの施設の受け入れ拒否

7月26日
アメリカ、イギリス、中国による(ソ連抜き)ポツダム宣言
日本の戦後処理方針、日本国軍隊のの無条件降伏を勧告

7月27日
御前会議
内容:ポツダム宣言の受け入れについて
決定:ソ連が宣言に入っていないため、和平交渉の仲介を担ってくれるかも
ソ連のようすを見るため、拒否

8月6日
08:15
広島へ原爆投下

8月7日
スターリン、対日参戦を早める

8月8日
東京空襲
河辺日記:久しぶりの空襲、B29約百機

佐藤大使はクレムリンに呼ばれ、モロトフよりソ連参戦を伝えられる。
日本人民の苦しみを早く終わらせるため、戦線布告する。
佐藤、東京へ伝えようとするが電話線切られる。

8月9日
ソ連(170万)、満州へ侵攻
11:02
長崎へ原爆投下

8月15日
ポツダム宣言受け入れ

8月19日
停戦協定

関東軍、武装解除
捕虜となった57万人の人々がソ連領内へ連行される。
シベリア抑留(強制労働)




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